結納辞典

結納の歴史と語源について


結納の起源は、1,400年前の仁徳天皇の時代にまで遡ります。
日本書記には仁徳天皇の皇太子(後の履中天皇)が羽田矢代宿禰の娘、黒媛を妃とされた時に納菜が贈られました。これが現在の結納にあたります。
結納の作法が整えられたのは室町時代小笠原家などによって行われました。当時は公家や武家の間のみで行われ、庶民にとっては結婚式を挙げる習慣すら特になかったので結納は別世界のものでありました。

もともと平安時代に貴族が行っていた婚礼儀式に、室町時代に武家礼法の諸流派によって中国の婚礼制度が取り入れられ、武家の婚礼制度として確立していました。それが江戸時代なって裕福な商家では結納・結婚式の行事が行われてきました。

庶民が行うようになったのは明治時代になってからです。このように庶民の間でごく当たり前に結納を取り交わすようになる迄には、ずいぶん長い歳月を要したのです。結納は結婚の約束のために贈るものですから、結納品には自らの願いと相手に対して誠意を込めて贈ったものです。

 中国の「礼記」に婚礼に先立って行わなければならない儀礼として、納采(のうさい)、問名(ぶんめい)、納吉(のうきつ)、納徴(のうちょう)、請期(せいき)の5つがあります。
納采(のうさい)  … 話がまとまると男親が女親に贈り物をして挨拶に伺う。

問名(ぶんめい) … 女子の母親の姓を男子が尋ねる。

納吉(のうきつ)  …  結婚を占ったところ吉と出たことを男家から女家へ知らせる。

納徴(のうちょう) …  男家が嫁をもらう代償として女家にそれ相当の金品を渡す。

請期(せいき)   …  婚礼の日の日取りを男家から女家へ知らせる。

嫁をもらう代償として男家が女性の親に金品を贈るというのは世界の多くの国で行われてきた「売買婚」という制度ですが、日本はもともと母系社会であり「売買婚」ではありませんでした。 平安初期は「妻問い婚」、平安中期以降は「招婿婚」という形で、男性が女性側へ寄っていくスタイルでした。これが室町時代に武家の天下となり父系社会が確立し「嫁取り婚」へと変わっていきました。

そこで礼の各流派が古くから「嫁取り婚」の歴史を持つ中国にその範を求め、中国の「納徴」という儀式を取り入れたと考えられます。
結納は地方の風習や流儀に影響を受けながら、全国津々浦々にまで浸透・定着していきました。ただし、日本はもともと母系社会から発展してきたので、本質的には相手側に対する感謝や礼節の気持ちを形に表したものが 結納であり、嫁をもらう代償として金品を贈る「売買婚」とは意味が異なると考えられます。

最近は「結納」を、女性側へ出来るだけ高額な「結納金」と「婚約指輪」を贈ればよいと考えて極端に簡略化する方もみえますが、これは「売買婚」に通じる考え方であり、女性側に対してやや失礼な気がします。

是非とも、本質的な部分もご理解頂きたいと思います。
結納の儀式は何百年の歳月を掛けて育まれたしきたりの一つです。こうしたしきたりはその土地に根付いた大切な生活の一面です。結納は古い因襲ときめつけず、その土地で育まれた「よき日本文化」であり「地方の生活文化」であると思います。

結納の語源 にも諸説あり、「結いのもの」つまり宴席で共に飲食する酒と肴を意味しているとも、「云納(いい入れ)」という婚姻を申し込む言葉から転じたものともいわれており、これを「結納」と記したと解釈されていますが、中国における六礼が、日本の似通った風習と結び付き、日本語化したものと考えられます。
また結納のことを「茶を贈る」と称して実際に茶を贈る所もあるようです。茶は植えたら、再び植え替えることをしないもので、女性は一度嫁しては夫を変えないという意味を表しているということだそうです。